pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

メソポタミアとインダスのあいだ

 本の題名をそのまま日記タイトルにしました。

 

 最古の文明と言われるメソポタミアは他の古代文明に比べると自己完結度が低く、その為に最も早く文明化したのではないか、というのが始まりで、メソポタミアと物資的には補完、政治的には協調したり対立したりしていったイラン高原、そしてアラビア湾南岸の文明について論述しています。

 農耕文明であるメソポタミアを補完するような形でイラン高原エラム文明が発生する訳ですが、イラン高原は乾燥地帯で大規模農業など望むべくもなく、狩猟、遊牧をことにし、鉱業製品をつくり、植物生産物、それも穀物や衣服に特化しているメソポタミアと交易する事で発達しました。興味深いのが、そんなエラムをコントロール下におこうとして窓口になる首都スーサを侵略したのがメソポタミア側であり、それを受けて中心地を東に移動させたエラム側は新たな顧客としてインダス川流域の穀倉地帯を求めて、インダス文明発祥原因の一つになったという・・・

 更に鉱山開発を求めてなのかアラビア湾南岸の地にも都市文明を発祥させたという。こちらは鉱山開発だけでなくインダスとメソポタミアを海路で繋ぐ、中継貿易も発展の要因って感じ。つまり環アラビア湾世界を形成して発展していった諸文明・・・と思える。

 それぞれ文明が発展、繁栄すればウィンウィンな関係が続くのですが、天候不順による環境の変化によってインダスが衰退、またメソポタミアも南部と北部の抗争、更には『黄金の三日月地帯』との抗争により征服され衰退。またこの事によって現イラクだけでなくシリア、レバノンイスラエルパレスティナあたりの勢力と合一した為、地中海方面の物産と競合する事になり、アラビア湾の勢力は衰退せざるえなくなったと。

 しかしアラビア湾は日本に住む自分たちが想像できないぐらい対岸同士の距離が近いようで、筆者の方は1991年の湾岸戦争直前までカタールで現地調査、研究されていたそうですが、勃発二週間後に退避勧告が出て出国せざる得なくなった時、民間航空機の発着はなく、現地研究者の伝手で船で出稼ぎイラン人の人々ともにイラン側に渡航したそうです。近代国家が成立する前までは両岸の人々は頻繁に交流し、同じ国内みたいに行き来し親戚も多くいる状況だったようで、本当に近しい間柄だったみたいです。なーんかイメージではスンニ派シーア派で対立しているような気がするのですが、現地の人からすればそんなのエライ人とか部外者の『喧嘩』なのかも知れませんね。

 あと大規模文明発祥には大河が必要、という考えは改めないといけませんね。メソポタミアと同時期に発祥したのはナイルでもインダスでもなく、遊牧民イラン高原エラム文明だったのですもん。それも必要が生じさせた、というべきですね。穀倉地帯が自分たちでは生み出す事ができないものを供給させる事ができたから、メソポタミアとともに発展したと。

 人間はやっぱり相互扶助、相互補完する方が、競争するよりも発展するのではないかと思ったりしました。