pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

今度は内戦

 日本における合戦は、大半はこちらですからね。

 

 取り上げられているのは、神話時代の『日本武尊』に付託した話、邪馬台国期から源義家後三年の役まで。日本史区分で古代と言われる時期です。

 これを読んでいくと、大規模な殺戮が行われるというのは、前九年・後三年の役まで少なく、そのほとんどが武力による小競り合いと話し合い、つまり和戦両用で問題解決を図っているということ。もちろん壬申の乱とか恵美押勝の乱とか、最終的に闘争相手を殲滅する形をとる場合もありますが、首謀者とその一族を抹殺するにとどまり、勢力丸ごと皆殺しというのは、ほぼほぼない。

 これは政争とかで敗れて無念の死を遂げたものが怨霊となり、世の中に祟りを成すという恐れがあるからか、遺族に供養させるとか、いなければ神に祀り上げて鎮めるとか、そんな信仰と関係があるのかも知れません。

 戦乱の規模も多くは数百程度、多くて数千ぐらい。壬申の乱は、どうも尾張以東の国々で対外戦争用に集結した兵力を大海人皇子側が接収し、近江朝廷を攻撃する事に用いたようなので大規模戦になったみたい。

 少数の例外を除けば古代の内戦は、武装した双方がにらみ合いながら妥協点を探り合い、なるべく損害が発生しない形で双方の立場を立てる形で決着をつける傾向があります。戦乱の原因の多くが利権争いであり、採算が取れない規模に拡大するのを嫌った為であるからではないでしょうか。

 ところが、前九年・後三年の役は様相ががらりと変わります。敗北した側の処刑は残酷で惨たらしい、聞いているだけで背筋が凍るものが増えますし、女子供の殺戮を含む殲滅戦の局面も現れます。兵糧攻めは特にそうで、城内の食い扶持を減らさない為、逃亡をはかった非戦闘員を見えるように殺戮し、逃亡者が出ないように仕向けます。城内は飢餓地獄・・・

 これを分水嶺とするように自力救済は加速し、『お前は死ね。俺は生きる』式になっていきます。著者によれば武士の時代以降、古代貴族たちの指向は軟弱で退廃したものと忌避され、武士道が(平和な時代になってサラリーマンになった武士の道徳律)尊ばれ、近代日本は当時流行の、ひゃっはー帝国時代との親和性から侵略国家となり、まぁ最終的には殲滅されます。

 その反省、反動から今度は武力を徹底期に忌避していくのですが、なーんか今思えばヒステリックでバランス感覚が欠落している考え方ですよね。古代日本ではちゃんと、武装してにらみ合いながら話し合いで妥協点を探り、双方を顔を立てた形での問題解決をしているのに。

 著者は古代貴族の研究家で、別に手放しで彼らを賞賛している訳ではないけれども、そのバランス感覚はある意味で見習うべきなのに、どうして殲滅する方向に志向するようになったのだろう。これを解明していく事が研究テーマになるのではないか、みたいな事をおっしゃっています。

 あ、もう一つ。この方、藤原道長大河ドラマの主人公になる事はないだろうとおっしゃっていました。大河ドラマで血みどろみどろな合戦がないなんて、ラストシーンが望月の歌で終わるなんて、絶対ありえないみたいな事を2018年に書いていらっしゃるのですが、来年2024年の大河は紫式部でどう見たって藤原道長とダブル主役ですよ。

 時代は変わるものですねぇ。個人的に『魔王信長』が出てくる戦国大河よりも、大変興味を持って、つまり期待しているのですけれど。