pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

国会議員というもの

 カルロ・ゼンさんだったかTwitterでつぶやいてみえて、それで興味が湧いたので読んでみたですよ。

 

 帯にあるとおりなんですけれども、そして文中にもある通り自分が学生時代の時期に政治家の巨額収賄事件が頻繁に発覚していたせいで、まぁ政治家という肩書の信用度なんて、自分の中では無きに等しいという感覚です。社会的地位はあるでしょうけれども、だからどやねん、という印象。

 ただ政治家、国会議員という存在がいかに金が必要であるのか、というのは早い段階で書かれています。活動費だけで年間二千万円は軽く超える。1990年代の政治改革まではその費用を個人で集めなければならなかったようですが、国から政党へ資金が払われるようになり、政党を通じて議員に活動資金が渡るようになって、個人的な資金調達能力は以前ほど問われなくなったみたいです。活動費の半分は三人の公設秘書以外の私設秘書雇用費。秘書が多いだけ活動範囲が広がるのは当たり前で、実は意外にも日本の国会議員、世界的に見て議員立法を試みる回数は多い方。ただし内閣提出の法案審議が優先され、会期切れで可決されないと特別な合意がないかぎり廃案になってしまうので、そんなに成立する事はないようです。

 昨年から時々AV法案とかジェンダー法案とかの是非がTwitter上で批判的に述べられているのですけれども、たぶんこれ当事者ではなく外側の人間が一面的な理解で成立させてしまったからアカンのであって、関係者は法律の改正を働きかける為にも、ロビー活動を、つまり自分たちの意見を代弁してくれる国会議員を作らなければならないと感じました。

 国会議員は何も自分の利益ばかりを追求している訳ではなく・・・というか、まぁ当選する事が第一義なのですが、それは有権者からの投票がなければ達成できず、その票を獲得する為に有権者の意見、要望というものを常に知りたがっている状況。自分もオタク・・・というか表現の自由確保の為に働いている国会議員を認識するまでは、その理屈に実感がわかなかったのですよね。

 という事は自分の考え方と近しい国会議員を見つけて、その人に投票するという方法論がもっとも有権者が自分の為になるんだよなぁ、と思います。

 あ、「政治家が信用ならない」って言う原因がなんとなーく解ったような気がしたのは、候補者たちは自分の主義主張と異なるならば政党の公約を守る必要はないと考えているということ。守れない公約なんて公言すると信用が落ちるばかりだから、言わない方がいいと思うけれども、そういう自分の信用の失墜というものを肌感覚で得る事がなければ、政治家は守らなくてもいい公約をぺらぺら喋っていくのだろうなぁ、とか思いました。