pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

昨日と真逆の本

 昨日は怠惰な古代日本の官僚の本でしたが、今日は真逆です。

 

 昨日の本は奈良時代から平安時代にかけて、免税特権とか、恩賜とか、そういうもの目当ての下級役人、貴族の話でしたが、こちらは政権中枢の、重要案件の審議を準備する人々の話ですかね。時代的には平安中期から末期。この頃になると公卿になれる家、諸大夫、受領という中級貴族になれる家、侍(武士だけではないです)という下級貴族までの人々、ってな感じで階層が固まってくる時代ですね。

 しかし日本の貴族ってエリートコースに載って尚且つ仕事ができないと出世できないシステムなので、生まれだけで出世できる、という世界ではないのですけれども。

 基本的にまず『五位の壁』というのがあって官位の、基本五位以上にならないと天皇に会う事すらできないので(たしかそうだよな?例外は六位蔵人ぐらい)、政権中枢に関われない。この時代、天皇やら院やら摂関やらは出歩かず、五位の太政官・・・内閣みたいな連中の下僚が彼らの屋敷を往復して意見のやりとりをするという手間暇かけた審議をしたりする。天皇の諮問を受けて、一応大臣以下の参議までの太政官閣議みたいな陣定(じんのさだめ)をして、それを天皇に勧告し決裁されるという流れですけれども、この下僚が一番忙しい人々で、当時は月に数回から十数回ある様々な儀礼をおこなう事が政治だったのですが、その準備を一つ二つ・・・新米だと殊更仕事をさせられて無茶苦茶忙しい。平安中期ぐらいまでは式部省って部局が仕切っていたのですが、火災とか盗難とかでお役所の記録が失われる傾向にあり、そうなると各貴族が個人的に残している日記などの記録まであたって、先例通りに儀式を行う準備をしなければならない。つまり残された役所の記録のみならず、他の貴族が残している儀式の記録を調べられる人脈と調査、整理能力が求められている訳で、それを滞りなくこなせる人材が『能吏』という。

 自分、この時代は摂関家とか院に権力とか財力が集中する時期で、彼らに経済的に奉仕する受領こそが中下級貴族が望む地位だと思っていたのですが、そうやって集まった財で何するかって、荘厳な寺院とか作っているだけでなく、日常的な儀礼とかもやっている訳で・・・つまり受領が集めた財を実際の行政(ほぼ儀式だけど)に使用する側がいる訳で、そういう人たちの事、あんまり知らなかったよなーっと思いました。