pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

さっむ!!

 涼しいを通り越しましたね。タオルケットかぶって寝ていましたが、寒さで目が覚めましたよ。今夜は毛布を出すべか。季節がいきなり変わるのは、ちょいと困りまするよ。明日あたりから長袖にした方がいいかしらん。

 とまぁ、そんな気候の変化が激しいってとこから、こんな本の話。

 

 主にインド以東の東、東南アジアにおいて、天変地異がどうのようにとらえられてきたのか?という一般書だそうです・・・そうか、これ、一般向き・・・そうだよな。論文じゃないもん。

 中国において洪水とか飢饉とか、そういう天災が君主への譴責であるって話は聞いた事があるのですけれども、仏教において地震が吉兆と見なされるって話は初めて知りました。仏教の世界観からすると地震は仏、菩薩の力によるもので、ありがたい・・・って、え?まぁ動産、不動産問わず財産の少ない人は地震の被害で失うものは、自身や家族の命ばかりで、それさえ助かれば、新たな人生の出発と捉える事も可能な訳で、為政者が施しとかしてくれれば、却って生活が楽になるかも知れないわけで、そういう発想だと吉兆なのかぁ、と。

 他にも地震による大被害を被る事によって独立紛争、戦争が停戦に至ったインドネシアアチェの例が挙げられていて、助け合わないと生き抜く事ができない状況になると、争い続ける事はできないって発想になる、と。転じて大陸に住んでいる人間は、天変地異にあったら被害がなかったところへ逃げればいいけれど、小さな島国だと逃れるところは、少なくとも歩いて逃げる場所はない訳で、となれば憎かろうと嫌だろうと、協力していかなければ生きていけない状況になる訳で、つまり話し合いとか妥協とか協力という発想は、島国とか狭い地域で生きていかなくてはならない人々の知恵、という事になりますかね。

 そうなると、大陸型の国に住んでいる人々が「お前は死ね。俺は生きる」的な発想になりがちというのも判らないでもない。自分やその仲間だけでも逃げられる場所があるなら、敵対する人々の事だと思いやる必要もないわけですから。

 SDGsというものは、地球環境が限られたものと理解する人と、広大な空間であると感じる人では、まったく熱意が異なるというのもうなずける訳で、たとえばロシアに住んでいる人は人口密度がそもそも低いので、環境汚染をしても他に住む場所がたくさんあるから、環境改善するよりも移住すればいいって考えてしまうし、個人レベルならそれで問題などない訳です。

 「助け合い」とか「思いやり」っていうのも、きれいごとの裏側に、そうしないと生き抜けない過酷な環境がある、という事を想像しないと、上っ面な言葉だけになってしまうのかも知れませんね。