今月発売とは気づいていなかったです。
お子様パートにはあんまり興味がないのですっ飛ばして(オイ
ハンドラーの私生活、過去をちょろりと垣間見るみたいなエピソードが良かったですね。あとは・・・これ本当か?フォージャー氏、かつてないほどのピンチに陥っているように見えるのですが、どうなんでしょうね?まぁつづきを読まないと真相は解らないので。
あと、ヨルさんは今回も可愛かったです。
色んな身近に人に内緒で、曾祖父の事績を追っていたら、藪に手を突っ込んでしまってトラブル発生、という感じ。『道成寺』に向けて稽古を重ねるも、恩師の一人が亡くなるし、なにやら重い展開です。お能『道成寺』をやるって決まったの、結構前の巻だよな?これ、様々な想い、考え方を縒って、お能を完成させるみたいなオチに持っていくのかな。
そういえば『犬王』ってアニメ映画を見て、今のお能のルーツとは異なる、(どうも)エンターテイメントに特化した能が室町初期にあったらしい事を知ったので、それが残っていたら、こういう哲学というか思索的なものとは異なった能になったのかも、と思ったりしました・・・それって歌舞伎になるのかな?
塩野七生さんは『好きな男』が存在しない時代の事は、そっけない。まぁ『衰亡期』アテネを著述する段は、残念というか、がっかりというか、そういう気持ちで一杯ですよね。その為、最盛期の後にもう一度エーゲ海の覇権を握った時期の事は、スルーに近い扱い。それにしても覇権国アテネ=民主政の盛期って考えているのが、少しおかしい・・・って思えるのは研究者の方の著作に触れたからかな?制度が成熟する事が必ずしも国力増強とか、覇権国家の条件ではないのですよね。覇権国になる為の政策を考え付くか、それを政策として有効に実行できるか、という問題と制度の成熟、洗練は別物で、まぁ物語としたら「皆衆愚政のせい」にするのが単純で解りやすいけれども、歴史として見ると危ないよなーっと。
ソクラテスが死刑を食らったのも、ヒステリックな判断というより彼の弟子たちの多くが寡頭制を指向し、それがアテネの国政に酷い混乱をもたらした事が訴因だし、裁判員を煽って自分から死刑を望んだのも、その通りかも知れませんけれども、当時の事を記述しているのが民主政に批判的な人ばかりっていうのが公正な判断ではないって感じになりますね。
そしてこの巻末に塩野さん最愛の男の人、アレキサンドロス三世登場ですよ。次巻が塩野さん作品の掉尾を飾るものになるでしょうかね。