昨年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で演じられた中川大志さんの姿でしか想像できなくなっていたなり・・・
畠山重忠の事績ってそんなにある訳ではないと思っていたから、一冊にまとめられる分量なんてあるのかな?地域資料とか創作物紹介だったらヤダなぁ、とかって敬遠していましたが、間違っていました!!さーせん!!
関東の武士って、すっげえ昔から大武士団でございって説明しているけれども、ルーツはだいたい二・三世代前の事が多いってこと、この本で教えてもらいました。畠山重忠が帯びていた惣検校というのもこの人の祖父の代に武蔵国の武士の第一人者になった事が始まりで、まぁそんなに昔からあった訳でもないよね、と。んで秩父平氏が武蔵の主導権を握ったのは、河内源氏嫡流と結び、陸路では繋がっていなかった東海道と東山道を結ぶ鎌倉上道の前身と荒川水系の物流を掌握していたかららしいです。あと平安後期に起こった浅間山噴火による耕地の荒廃を再開発して荘園として管理し始めたのが、彼らが開発領主となった発端。つまり生産と物流とセキュリティを握る総合商社みたいな感じ。
関東における源平の覇権交代で一時期河越氏に主導権を奪われるも、平氏の家人になって巻き返しをしている世代が彼で、その為か元服直後の青年期京で過ごしたので教養も身に着けていたようです。頼朝挙兵直後は敵対し、三浦一族の長老、自身にとっては義理の曾祖父にあたる人を殺してしまいましたが、頼朝武蔵入りに際して帰順。
武蔵に覇を唱える勢力なので頼朝は重んじますが、身辺近しく用いなかったようです。儀礼的には重視されるけど政務では重んじない。しかし頼朝親征の先陣はだいたい畠山重忠なので、軽んじられていた訳ではない。頼朝としては武蔵の中小武士団を親衛隊みたいな扱いにしたいけれども、彼らは畠山氏に従属する立場の者もいる。その辺のバランスを考えながら頼朝は畠山氏を扱っていたみたい。
頼朝没後は頼家の未熟さもあってそのあたりのバランスが取れなくなり(決して無能ではない。しかし拙速ではあった)、御家人同士の争いが激しくなると、自家の権益を守り拡大するように動き、そしてそれが武蔵国に影響力を拡大しようとする北条時政とぶつかるようになり、最終的に騙し討ちのような形で滅ぼされる事に。しかしその手口は身内からも非難される事になり北条時政は失脚。その果実は娘の政子と息子の義時のものに・・・この二人、時政非難しているけど、畠山遺族の復権はしなかったんだよな・・・畠山重忠室である妹の権益は守ったけど、そして足利氏と婚姻して源姓畠山氏が誕生するんだけど。
この本を読むと平安末期から鎌倉初期の武士団の形成過程が理解できるですよ。