pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

水道漏れ

 うちの店、階上がアパートなんですけれど、築半世紀以上経過した古い建物+どうも設計段階で下水導管の傾斜が浅くて水が流れにくいとか何とか。あと住人モラルが高いとは言えないのでなんもかんも排水しがち。んで詰まると一番階下であるうちの店で水漏れが起こると。

 何年か一回起こるのですが、今年はちと多いなぁ。水道屋さんがくるのは木曜日・・・その間、持てばいいけどなぁ・・・

 それはさておき読み終わったもの。

 

 島津氏って良く解んないんですよねー。それがこの本でようやく理解できました、源頼朝落胤ではない事が(そこかい

 もともとは摂関家に仕えていた下級貴族でしたが、比企尼の姻戚であるところから源頼朝御家人となり、南九州の島津荘の下司?地頭?になり守護になりって感じ。広大な荘園である島津荘の領主が近衛家で、その縁で江戸時代まで近衛家とは関係を保持していたようです。

 長く続いている一族ですが、惣領の家督継承が不安定なので内輪もめが絶えない。特に戦国期ですかね。応仁の乱は距離がある事をいい事にほっかむりして関わらなかったのですが、その後惣領家に不幸が続き、安定的に家督継承できず、有力な庶家が後継者のいない惣領家の家督を狙って策謀を巡らせ、利害関係から相争い、その争いをようやく解消できた頃には薩摩、大隅、日向の三か国にまたがる勢力となっていたと。もともとその三か国の荘園に島津一族は広く分布し、その島津一族の反対勢力を抑え込んでいったら結果的にそうなったと、そんな感じ。

 なので緩ーい結合のまま大勢力になった感じで当主に絶対的な権力はなく合議制。それに悪い事に三か国を統一した頃の当主義久には男子がおらず、同母弟義弘を名代として後継者に擬するのですが、豊臣政権に下った後、政権としては出家して恭順の意を表した義久を隠居として遇し、義弘を島津家代表者にしたいけれども、やはり義久の影響力は大きいし、また強権的な改革を押し付ける豊臣政権への反発もあり、政権によって公家成し支配権を認められた義弘と対立。ややこしい事に豊臣政権で利益を得たのが家臣伊集院一族で、彼らへの反感もあり、三つ巴みたいな感じ。

 まぁ最終的には伊集院一族が撃破されて勢力を縮小。関ヶ原参戦を結果的に主導して敗戦した義弘の権威も低下。家督継承者忠恒の権威が相対的に高まり近世へって感じ。

 あと『鬼島津』はこの本には一度も出てこなかったですね。やはり同時代評価ではなく幕末の活躍からくる後世の評価みたい。朝鮮半島での武勲も最後の最期で防衛戦を守り切った、つまり侵略軍が一番厳しい状況の時に活躍して豊臣大名武闘派の信頼を得た、というのが一番大きいかも。その時の人脈が関ヶ原敗戦からの交渉に役立っている。

 やっぱ強い奴が勝つ、というよりも多数派、支持者が多い方が生き残る事ができる。そんな感じなんですよなぁ。