pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

『エリジウム』の事を書くといったな

 あれは、嘘ではないけど嘘になるかも知れない(どっちやねん

 いや、まさか読み終わるとは思っていなかったのですよ、この本が。

 

 『ど家』でスポット的に登場してきたので、そういえば評伝とか読んだ事なかったなーっと思い、図書館にあったので借りました。結構分厚い本で、半分ぐらいは流し読みですが。一応三浦按針ことウィリアム・アダムスの評伝ですが、同時に大航海時代からスペイン、ポルトガル、オランダ、イングランドの角逐の時代も書いてあります。つまり十六世紀末から十七世紀初めのヨーロッパ諸国の海洋勢力争いの歴史でもあるわけです。

 ウィリアム・アダムス自身はイングランド人で、最初はアフリカ航路とかで経験を積み、航海士としての腕試し、冒険心、欲得、野望・・・そんな心象から西回りのアジア航路に参加する事に。というか交易船といいながら目的は南米のスペイン植民地や、そこからスペインが収奪した富を奪う海賊行為なんですけれどもね。当時の交易船は海賊船兼業というところがあり、まぁ儲かるなら何でもやるって感じであり、各国王も敵対国への攻撃は推奨しているところもあり、当時の海洋交易は自力救済の無法地帯ですね。

 南米での海賊行為も芳しくなくアジア交易に切り替えて南米から太平洋を越えたのですが、船員の消耗、死亡や船舶の破損もあり日本に漂着します。最初は罪人扱いでしたが事情聴取を経て家康の興味を引き、信頼され給地二・三百石を与えられたという事で士分に取り立てられます。たぶん西洋出身者で日本の領主身分になったのは唯一じゃないですかね。ご本人が数か国語を理解する能力があった事も有利に働きました。

 外交顧問なんて高級な立場ではなく、家康の諮問に応えるブレーンの一人って感じですかね。しかしご本人はやはり航海士として活躍したいという欲求が強く、日本を起点に東南アジア方面の航海、交易を行いますが、これは結果から言うと失敗に近い。

 後年の『七つの海の支配者』みたいなイメージがあるのでイングランドが交易で競合し敗れるっていうのは、あんまり想像できないのですが、当時はポルドカルを駆逐しつつあったオランダが東南アジア以東を海洋制覇しつつありました。江戸時代、オランダのみが西洋諸国で交易を維持できたのは日本側の選択とオランダの当該域での覇権が関わっている訳で、イギリスはインドはともかく、東南アジアで交易ネットワークづくりに敗北し、その為日本で販売可能な商品を確保できず、十年の商館設立期間も結局赤字で終わりました。

 意外だったのは、考えてみれば当たり前ですが、ヨーロッパから回航してくる船が少なく、多くが中国のジャンク船を使用していること。整備や調達のしやすさを考えれば当たり前ですな。当時の日本には外洋航海に耐える船を建造する技術が乏しかったこと(日本って島国だけど海洋国家ぢゃないよね、っていう自分の感想は、こんなところからきている)、ウィリアムが家康に信用、寵愛されたのはヨーロッパの外洋船を高い完成度で建造してみせた点があります。

 結局三浦按針は領地を日本人妻との間の子に譲り、イギリス商館のある平戸で交易者として生涯を終えます。息子は船には乗りませんでしたが、鎖国政策に向かう幕府において最後の交易朱印状を発行してもらえるほどには信用された商人だったようです。ただ息子の代で断絶しており、西洋人が祖先の幕府旗本・・・とはならなかったのは、ちと残念ですかね。

 あ、『エリジウム』のこと、書けなかった・・・