pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

当日言われた

 昨日の朝、父親が「今晩飲みに行く」とゆーたので、冷蔵庫にあるもの、宅飲み会用に購入して食べなかったもの、などで自宅飲みをでっち上げました。なかなか使いきれなかったクリームチーズなど、ようやく食べ終えましたわい。ケンタッキーの期間限定メニューを買って帰ろうと思ったけど、ドライブスルーに見た事ない長蛇の車列が並んでいたので諦めました。昨日が限定メニュー発売開始だったのかな?

 んでなかなか視聴消化できていなかったこちらも見れました。

 

 映画五作目と六作目ですね。五作目でゲイリー・オールドマン・・・もとい、ハリーの名付け親シリウス・ブラックがグッバイ。六作目で校長がグッバイ。つまりハリーを支え、教えてきた親代わりの存在が次々にグッバイしていくという・・・ハードな人生だな、ハリー・ポッター

 良い話ではロンとハーマイオニーがくっついたり、ハリーがロンの妹とくっついたり、と青春していますナ。あとハリーの亡き父親が、スネイプの目線からはゲスなガキ大将のいじめっ子で、そりゃ、その息子のハリーに対する当たりが強いわな、と思う。しかしハリー母親って、だいたいの人に好評価でハリーの面影に、いや瞳に、亡きハリー母親の姿を思い出して優しくなる人の多いの事!!赤ん坊の時に、ハリーを死の呪文から守ったのも母親の呪文だし、ハリーは母親に感謝すべきですな!!(オイ

 しかし、まぁ少年少女にやられるから当たり前というか何というか、この作品に出てくる悪役って総じて小物感が強いですよね。解りやすすぎて、そして詰めが甘くて。前回の『光る君へ』の兼家パパのスマートダーティさを摂取してしまってからは、より物足りない感じ。しかしそれは仕方ないのかも。この世の栄華(藤原良房以来の外祖父摂政という最強ポジ)を手に入れて畳の上で死ねた兼家くんと、倒されるべき『闇の帝王』として挑まれ(最終的に)倒されるだろう「かの人」とは役割が違いますもんね。『闇の帝王』が取っている手段って考えてみると先細りなんですよ。不死の権力者となり『純血の魔術師』のみ認めるって、体制の固定化と総魔術師数の減少を招き、相対的に人間に対して弱体化していく。個体能力は維持されるかもだけど、数の暴力という消耗戦になった時、不利になる事は否めない。全方位に喧嘩を売って破滅したナチスもそうだけど、自分と同じ境遇の者だけを味方にしてやりたい放題すると、周囲から消耗戦に持ち込まれ破滅する。『エース』って凄いと思うけれども裏を返せば一人の人間がブラックな過剰労働で成果を出したという事で、つまり彼と交代して仕事をこなす人間がいない。疲労回復がままならず蓄積していけば、結局致命的なミスをしてグッバイしかねない、という事に。

 『光る君へ』の兼家パパは自ら殺人を犯し、兼家家に穢れをもたらした次男道兼を叱責するのではなく、それを一族への負い目と感じさせ、『汚れ仕事』を担わせる方向にもっていくっていうのが、凄くいいんですよね。でもこういうタイプの『悪役』って単純に殴り殺して倒すという訳にはいかない。やはり解りやすく打倒すべき目標となるのは『小物感』漂う解りやすい『悪役』なんでしょうなぁ、とか思ったりしたり。

 あ、随分書いてしまた。