pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

最初の世界帝国

 と言われている存在の入門書、みたいな本です。

 

 アジア、アフリカ、ヨーロッパに影響力を及ぼした、まぁ広大な領域を220年余りに渡って支配した超大国って奴です。これだけ広大な領域を支配した勢力としては最初。

 しかしその記録は西洋視点のものが多く、1980年代ぐらいまでは、西洋の鏡写しのような姿しか評価していない、と言われていました。特にギリシア人としては自分たちに対するネガティヴな存在として表現したがっていた、と。それなのに、やはり都市国家という彼らに比べれば猫の額ほどの土地しか支配していない自分たちに対して、東はインドから西はエジプトまで、という広大な勢力圏。王侯たちの比類なき豪華な装飾、生活水準。ペルシア戦争に『勝利した』という自負とは裏返しのコンプレックスを抱えていた、そんな屈折した感情があるようです。特に自分たちは『自由な民』でありペルシアは専制君主しか『自由』ではない、という認識も。臣下は皆、奴隷と信じたがっていたみたい。

 基本的にはペルシアは各地方の支配体系を温存し、自治を認める形をとっていました。ただし全部が全部ではありませんが。この支配形式は、その後『帝国』と言われる勢力がほぼ踏襲する形式なので、その意味で最初の『世界帝国』というのは伊達ではないと。

 ただし色々問題があるのも事実で、例えば王位継承が成文化されておらず、王の暗殺や兄弟間と骨肉の争いが継承時には必ずと言っていいほど行ったこと。それがあまり問題視されず王朝の寿命も二百年を超えたのは、王の平均在位期間が二十年と、王自身が健康で長期間の統治を遂行できたほどには有能であったという事ですかね。

 王家の系図も記録が残されていないとか、検討、検証を要するとかってものが多く(書いている側のプロパガンダを検証する為に、考古学的な資料とか、立場の異なる者の資料とかあるといいけれど、そういうものが少ない)、初代と二代目は父子だけど、三代目の有名なダレイオス一世は同じ一族らしい、というとこしか解らない。その後、最期の王までは父子継承が運よく続いたけれど、最期のダレイオス三世も一族出身者で、陰謀がらみで王位についたらしい、と。『市民』が多いギリシア人たちは『高貴な一族のスキャンダル』が大好きなので、そういう話がいっぱい残るのですが、はてさてそれが何処まで真実に近いかは、新しい資料でも見つからない限り、こんな感じ、としか言えない、と。

 ただマケドニアのアレキサンドロス、所謂アレキサンドロス大王に三回の会戦で敗れてあっけなく滅亡する下地は、傍系から王位についたダレイオス三世の権力基盤が脆弱であったというのもあるでしょうね。首都を捨てて逃亡するっていうのは首都が故郷ではなかった、自身の権力基盤ではなかった可能性があるので。

 イランとかはペルシアの故地に国があるので国威掲揚の為にアケメネス朝を使う傾向があるけれども、でも考古学的発見はイランあたりから出るだろうし、今後の研究が進展して、もっと『らしい』姿が現れる事を期待しています。