pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

『光る君へ』の感想書き忘れ

 土曜日に「地獄ですよ」と他人様にお勧めしながら(どういう勧め方だ)、日曜日の回はそこまで地獄でもないな、とか思いつつ、兼家パッパの衰えぶりに中関白家の短い栄華到来を感じながら、藤原定子を演じた高畑さんがローティーンに見えてしまうのに驚き、大河に出演する俳優さんはレベルが高い人が多いなぁ、と。

 そして最後の最後に道長とまひろが地獄を見せてくれました。うはー。まぁ道長もう一人の妻、源明子が楽しい時に笑えなくて、人を欺く、陥れる時しか笑えないという、一人で地獄を体現している人なんですけど。そういえば何時頃から古代の女性名を訓読みするようになったのですかね。ちょろりと前は読み方が判らないから音読みしている、って書いてあったけど、ここ最近の研究で当時の訓読みが判明したのでしょうか?

 どっかに書いていないかな?

 んで読み終わったものもその関連で。

 

 つまり『光る君へ』の時代までの平安時代の変遷を書いている本です。一部院政期も言及していますが、まぁ仕方ない。平安京遷都から平安時代という認識からすると桓武天皇から始める訳ですが、彼らの同時代認識を考えると「俺が王朝開祖」意識が強いのですよ。まぁ桓武天皇って人は皇位継承の正統性からするとかなり弱い立場の人なので(父親光仁天皇聖武天皇婿の皇族として即位しているけれど、その聖武天皇娘は謀反の罪で息子、つまり聖武天皇孫とともに排斥されている。変わって皇太子になった後の桓武天皇は母親が渡来系氏族で血統的立場は甚だ弱い)、だから繋がりの弱い聖武天皇血統よりも自身から始まる皇統を強調する立場になります。

 これ、嵯峨天皇にも言える事で、この人も桓武天皇の嫡子たる兄平城天皇が病を理由に退位した後、回復したからって復位を試みたのを退けて主導権を握った人なので、どうしても平城天皇を棚上げしておかないとマズい。

 んぢゃあそれで収まったかというと、嵯峨天皇は幼い息子ではなく成人していた弟淳和天皇に譲位し、自分と弟の系統交互に皇位継承しようと企図していて息子の仁明天皇としてはそれが不満。淳和上皇、嵯峨上皇が相次いで世を去ると皇太子の従兄弟を政変で排除して自らの息子を皇太子に・・・

 こうやって見ていくと天皇って自分の直系子孫に皇位を継がせる事を最優先させる傾向があって、それができないのは少なくとも元服していない皇子を天皇にさせる訳にはいかない、という常識が働いていたという。たぶん嵯峨上皇の婿であり清和天皇の外祖父となった藤原良房という存在がなければ、つまり彼自身が準皇族という立場であると認識されていなければ、人臣摂政は実現できなかったし清和天皇の即位もなかったんだろうなぁ、と。ちなみに清和天皇の母親は良房の一人娘ですが彼女は嵯峨上皇の孫にあたるので、彼女こそ準皇族の立場です。

 そういうのを何度も目にすると『万世一系』って結果論であって、否定はしないけどご本人たちはそれを意図的にやっていた訳ではないんだよなぁ、と。兄弟は他人の始まりみたいな扱いをしているし、そういう認識だから、少なくとも近世にいたるまでは、血縁だけど家族とは思っていないような感じです。だから『万世一系』って力まれると、もにょる。

 書ききれない他の話題もいっぱいあって、それが漫画やアニメで例えて書いていて、大変読みやすいので、つまり読むと面白いよ、という事です。はい。