pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

八時間ぐらい寝た

 読み終えたものはないです。座ったまま眠ってしまって腰に負担をかけるよりも、とっとと床についた方がいいという考えから、昨日は午後十時ぐらいに床に着きました。室町・戦国時代の天皇列伝をちょろりと読んで睡魔が襲ってきたので眠り、途中肌寒くなったので布団をかぶる為に起きたりしましたが、だいたい八時間弱ぐらい寝れましたかね。もうちょっと眠りたいけど、まぁそれなりにすっきりしたかも。

 でも腰は相変わらずです。整体外科に行って薬で一発で治った二十代の事を思い出しますが、近所に整体外科、あったかな。調べないと判らぬ。

 今読んでいる本は何気に四つなのですが(移り気な性格故なり)、その中の一つ、流し読みっぽく読んでいる本があります。文章の書き方が好きではなく、いまいち乗れないので流し読みになってしまっていますが、それに状況証拠の積み重ねが多いし、たぶん色んな同業者から叩かれたが故の、こういう書き方になっちまったんだろうなぁ、と思うのですが、内容は興味深いです。天智天皇の治世を正面から論じた一般向けの本ってあんまりないよなぁ、と。

 まだ半分しか読んでいないのですが、白村江の戦いでの大敗で日本が唐の羈縻政策に屈したが為に大津京に移された、という感じ。『防衛のため』と理由づけられて聞かされた百済式山城の建設も防御施設ではなく烽火リレーで情報を伝達する施設で、つまり大和政権中枢に唐の出先機関が設置されて、間接統治の対象になったというのです。

 確かにそういわれれば腑に落ちる点も多いのですが、それにしても出先機関に配置された唐の役人が無防備すぎる。護衛の兵力について何も書いていないし、構成員も唐の人間数十人、百済の人間百数十人って、百済は唐・新羅連合軍が滅ぼした対象だし、そんな国の人間を連れてきて信用できるのかね?

 趣旨はそうかも、と思うけど、実態としてはどうなのか?この人数だと駐留というよりも使節とした方が妥当な規模に見えるけどなぁ。どうみても長期滞在よりも短期訪問って感じ。

 まだ半分近く頁はあるのですけれども、たぶん壬申の乱の原因を唐に従順な近江朝廷を倒し、つまり唐の間接支配から脱する戦いだった、みたいな結論にしたいのだろうけれども、その方が大海人皇子が反乱を起こした動機としては説明しやすいけれども、さーてどうなんでしょうね。すっきり納得できる考古学的な発見があればいいのですが、状況証拠だろうなぁ。

 無理矢理千字埋めました。