あ、ゲーム『A列車でいこう』の話です。やっているシナリオが娯楽経済規模を増やせというもので、やっているのが「やさしい」という難易度だから、人口とか経済要素は鉄道を引いて運行本数を増やしてやれば勝手に増えてくれるのですが、娯楽に関する建物、産業は勝手に増えにくいので、こちらがポチりポチりと増やしてやらないといけない。建築費用の何割かが経済規模に反映されるので、高額の建造物を建てると伸びが大きいのですが、高額なものほど資材を多く使い、資材が多いと完成まで時間がかかる・・・資材工場から資材を引っ張ってくれば早くなりますが、面倒くさいし、そんなにかからないだろう・・・と高をくくっていたら、国技館を立て始めたら340日かかっちまいましてね。だいたい十数日とか長くて数か月の建築期間が一年もかかるとは思わず、いらっとしながら自動セーブをオフにしたまま最速で流していたら、完成期日目の前でエラーorz。最後にセーブしたのが実時間五時間前だった悲劇も重なり、五時間分の成果がパアぁ。話に聞いていたけど、心が折れそうになりましたが、まぁ仕切り直しと気持ちを入れ替えて、継続中です。だるいけど。
一応用意されてているシナリオは「やさしい」で全てクリアしようと決めたので(難易度「標準」ですらないところがヘタレである)
それはさておき読み終えたもの。
以前にも読んだ事がある本を再読しまして、ええっと「皇国史観」はファンタジー文学だよね、と再認識。この本は「南朝だって人間の集まり、いざこざや内輪もめもあったんだよ」という事を解り易く書いてあります。執筆当時が民主党政権崩壊時であったせいか、南朝の事を民主党政権になぞらえて説明されている箇所があり、ああ、そういわれればそうだねー。と納得したり。
まぁ自分は皇国史観って奴が嫌いなので、いいんですけど(あ
それ以外に思ったのは、文章って人と同じで相性というものが存在するんだなぁ、と。あたりまえか。文章は人が書くもので、人となりが現れるものなのだし。何故かというと、この本の前に読んだ「武士の起源を解きあかす」がね、刺激的で、ぼんやりしていたところを明白にしてくれて、あ、これはいい内容。買おう、と思ったのですが、読み終わったところで踏みとどまって、やっぱやめとこ、と決断しちゃったんですよ。これはですね、文章の端々になーんかひっかかるものがありましてね。例えば文章中に財政出動というか赤字国債を発行して支出を続ける日本政府を非難する箇所が、まぁたとえ話に出てくるのですが、ん?緊縮財政がこの十年の日本を弱体化させたという説もあるぞ?デフレ不況下において、ゼロ金利でも投資が伸び悩んでいる現状においては、国がピンポイントで財政出動して投資を促すという行為は必要ではないかね?とか心の中で反論してしまう訳ですよ。
挙句が「この著者は森喜朗氏のようにリップサービス好きで、専門外の事を深く考えずにポロッと言ったり書いたりしてしまう性格なのかな?」とまで思ってしまう始末。
もちろん『南朝の真実』にもそういう話は出てきますが、特に反論も思い浮かばず「そうですよねー」とか思ってしまう。文章に対する感じ方は人それぞれだし、まぁ著者によって好悪ができてしまうのは仕方ないかなぁ、と思ったりしました。