pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

やっぱそうなのね

 『鎌倉殿の13人』の実朝さん、やっぱりそういう人なのね。子供ができなかったのは、そういう性向だったから、と。割と日本史の人たちはバイが多くて、男も女もOKな人が多いから、そういう意味では繊細な人という事ですかね。でも、だからこそ奥さんとは仲良くして欲しいなぁ。資料に残されている実朝夫妻は微笑ましいくらいラブラブなので、それは壊してほしくない。

 義時は思った以上にダーク面にどっぷりハマり、心安らぐのが長男の邸宅って体たらくに。最後の配偶者選びは失敗って匂い。死因毒殺説が採用されている気配が濃くなる。

 そしてたぶん来週から『和田合戦』。どーなるのかなぁ。

 さて、日本史上でバイな人は数多くいましたが、そのうちの一人、の子供たちの論文集が読み終わったもの。

 

武田信玄の子供たち

武田信玄の子供たち

  • 宮帯出版社(MYOBJ)
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 複数の男と付き合い弁解の手紙を書いた事でも有名なこの人、跡継ぎをこさえる行為も怠りなく、その意味では政治的な人間とも言えますな。この時代、一夫多妻で好みの女性とばかりイチャコラすると思われますが、後継者を確保する政治的な活動でもあり、だいたい最初の正妻との間に跡継ぎを確保できなくなったら、第二夫人というべき正妻を持つか、あるいは正妻の許可のもと側女を持つかという感じ。信玄の場合は政略的な結婚が多い感じです。自分の好みよりも政治的な要求で関係を結んだ女性が多いかな。

 ただ死活問題としてそうせざるを得ない面がありまして、甲斐武田家は信玄祖父の信縄の代から内紛が激しく、頼りになる親類が存在しないくらい殺したり追放したりしているので、頼りになる身内づくりは父信虎の時代からの政治的欲求でもあります。

 ただそうやって頑張っても運次第ですからね、子作りは。正妻の三条夫人との間に三人の男子を得て三人とも健康に育てば文句なしでしたが、長男義信は成人するも政治路線で父親と対立して自害?次男は後天的に失明。三男は夭折。結果的に後継者は四男勝頼になりますが、彼は『強すぎたる大将』と呼ばれるほど、長篠戦での大敗の後はトップダウン、側近政治とならざるを得なくなります。これ、トップが最良の選択を取り続けられば最速の判断で組織が動くので有利なんですけれども、間違ってしまった場合の修正を部下がやりにくい、できない感じ。こういうのって『デキる社長』が陥る罠で、うちの業界のメーカーも大半そんな感じで、新機軸の売れ線商品を自ら生み出す事ができていない。その意味では、じり貧状態。急激に業績を伸ばしたところは、会議参加者が全員納得するまで深夜まで話し合いを行い、差し入れも菓子パンとかではなくちゃんとした食事を出すといいます。会社の方針に全員が納得するならば、危機や困難に対して前向きに対処しようという気概が生まれ、能動的に会社に参加するようになります。

 まぁ戦国期にそういうのって一味一揆の話し合いぐらいしかなくて、そうなると主導権を握れなくて危機に際して空中分解するもので、現代でしか成り立たない方法論なんですけれど、なんとなーくそんな話を思い出しました。

 あとは武田家滅亡後の一族のその後・・・江戸時代中期には高家として武田家は復活しているのですねー。まぁ時の権力者である綱吉、その側近柳沢吉保の思惑が関わっているから実現できたとも言えますがね。その意味ではしぶといなぁ、と。