pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

休み中に読んだもの

 引きこもり盆休みであったので読書は進みました。まぁ軽い奴から。

 

 著者が大病を患っていらっしゃったので、前巻から・・・何年たっているんだろ?でも読み始めると、なんとなーく思い出すもので、ああ、こういう話だったなぁ、と。キリ〇ト教徒から〇書されてもおかしくないなぁ、ラスボスの正体と思いつつ、戦争のプロたるドリフターズの面々から「素人め」とか言われる殲滅戦を展開している事が発覚。スキピオやらハンニバルやらが真価を発揮しようとしているのが嬉しくてしようがない。次巻は何時出るのですかねぇ。楽しみです。

 

 ずいぶん楽しみに待っていました本ですが、考えてみればこのタイトル、かなり難しいですよね。頼朝はともかく義仲の活動期間って僅か数年。実際にその勢力が戦闘関係になったのは数か月。まぁ義仲にとって頼朝の兄は親の仇であり、河内源氏嫡流であった義仲父、義賢と長子でありながら南関東で自力で勢力を築かざるを得なかった頼朝父、義朝の因縁から語るとしても分量的に難易度が高い。

 仕方ないよね。木曽義仲。ネームバリューはあるけれども資料が少なく、「木曽の田舎者」という評価が外れて、後白河院に匹敵する皇族である八条院の人脈に連なる貴種であり後白河院と対立しなければならなかったのも、八条院養子、以仁王の遺児を天皇にしようとしたところからだし、けれども八条院本人は兄である後白河院と対立するつもりなんて毛頭なく、そういう意味では義仲くんの暴走とも言えるかも。

 そういえばペケッターで歴史解説実況者の人が「頼朝が関東武士に担ぎ上げられたのは、在地勢力を持たない軽さから」みたいな事を書いていたけれども、たぶん荘園の実地支配者である下司が多い在地武士にとって『右兵衛権佐』であった頼朝は十二三歳で当時の日本の支配階層である公卿へ出世できる階段に登った「雲の上」の人であり、本物の貴族であり、そのままでも侍階層(六位以下の位階の人々)までしか登れなかった在地武士と比べても身分が違いすぎて、そもそも競争相手にすらならない。というか競争相手にしてしまうより、神輿にあげて利用すべき人なんだよな。平家にそれまでの利権を奪われた彼にとって、実態はどうであれ、貴族の端くれである彼を旗頭に、結集軸にする方が都合がいいし。

 それに負ければ頼朝の責任にして、ばっくれればいいもんな(あ

 この辺のお手軽さ故に担ぎ上げられたのかな、とか思ったりしたり。真剣にこの人についていく、なーんて重く考えるよりも人が集まりやすいかも知れないなぁ・・・

 とか思ってしまいました。