pomtaの日記

だいたい読書感想か映画感想です。たぶん。

読み終えたものが、ない

 最近『光る君へ』効果で平安時代の研究成果が一般向け冊子化される事が多くて、平安前期から中期の事が書かれている本をよく読んでおります。今日か明日ぐらいに二冊ぐらい読み終われそう。『デューン』三作目は二冊目に入りました。

 ここ数年大河ドラマを見る機会が増えたのですが、自分の好みって家族を基本として、その貴族が権力闘争しているドラマが好きなのかなぁ、と。だから大河でも幕末維新期はあんまり興味がない。家族という単位よりも個人が表に出ていて、剥き出しの権力闘争のサイクルも早いからドラマを楽しむのが短いから、なのかも、とか思ったりしたり。そうでもないか。

 なーんか幕末維新ってそんなに興味を持てないのですよね。幕末志士ってテロリストまがいの連中が大義名分立てて悪さしているとしか見えないし、その大義名分も戦時中の軍部の、なんか一般国民の事なんか欠落しているだろうって思える『国体』とやらに繋がっていて、まったく同感できない感じ。今の『伝統的価値観』って実は維新後の中央集権国家が成立してから形成されたように見えるし、それは外国の圧力に対抗する軍事力を形成する事に特化していて、義務教育からして軍隊の一員たることを求めているようにも見えるのですよ。

 時代がそうさせている、とは言うものの、それで国家のかじ取り、判断が肥大した自尊心によりミスっていき、あの破滅を招いたとも思うし(指導者のみならず国民世論の大勢の行きつく先があの破滅であったと思う)、『伝統的価値観』という奴も人の都合によって変化していくものだし、それを墨守する必要性はどこにもない。つまり自分にとってなーんか、マイナスイメージの原点が幕末維新にあると感じているからなのでしょうね。

 戦国武将と現代の自衛官までつづく近代の軍人たちを並べると、どうしても配下の人材、兵力、領民を自分の財産として捉え、いかに損害を出さずに運営していくかと考える戦国武将の方が、官僚として、数字としてそれらをとらえがちであり損害を出す事にも比較的無神経な近代軍人を評価する事はできない。もちろん前近代の人の方がいいという訳ではないし(まずもって価値観が異なるし)、たぶん世代間の認識の違い以上にアレな感じになるでしょうが、近代以降の人間って、人間を数字で捉えがちになってしまい、非人間的な考え方になってしまいがちなのかも知れないなぁ、と思考があっちこっちに飛び交っています。つまり、どいう事かというと、千文字埋めたぜ(そこかよ